第93回
競馬の楽しみ方~騎手編

祝・武豊4000勝!


武豊騎手4000勝

…というのは、おそらく今の競馬の制度上抜かれることのない記録だろう。


武豊騎手はこれからも現役を続けるだろうし、今年も現時点で58勝しているので、怪我なく無事に騎乗し続けて、コンスタントに毎年100勝弱の勝利を積み重ねていけば、10年後には5,000勝に届いていても驚けない数字だ。
なにせ、あの天才ジョッキー武豊だからな。

ただこのカウントJRAでの勝利に限ったもので、地方や海外での勝利数を足せば随分前に達成出来ていた数字だった。
これを区切りの勝利とするのはいかがなものかなとも個人的には思う。

デムーロやルメール、モレイラにしても海外の勝利数をカウントすれば相当数勝っているはずなので、このあたりの線引きをきちんとしないと、記録そのものがボヤけたものになってしまうことが危惧される。
本人達はどのカウントにしているのだろうか。



武豊騎手が所謂「ピーク」を迎えていたのは2004年(211勝)2005年(212勝)で、この当時は「一人横綱」状態が続き、その後もコンスタントに150勝前後の勝ち鞍を挙げていた。
転機となったのは2010年の落馬事故だ。

本来、左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折により長期の戦線離脱をしいられるはずだったのが、復帰を焦るあまり鎖骨にプレートが入ったまま半年で戦列復帰したため、左肩の可動域は正常時の半分程度だった。

このことは後年、本人も語っているが「あの時焦って復帰したのが後々響き、実際に完治するまで2年間は痛みがつきまとっていた」と言っている。

そして、怪我の影響で全盛期には程遠い騎乗となったため、武豊は騎乗馬の質を落としたが、これに追い打ちをかけたのが「エージェント制度」だった。

今でこそルール化されている「エージェント制度」だが、当時は明確なルールがなかったため、元競馬ブックTM小原TMが「小原軍団」を結成し、岩田福永四位を中心に自身の息のかかった騎手間で有力馬を融通するシステムを構築し、「有力馬は小原軍団に頼めば誰かまともな騎手に落ち着く」という状態になった。

対して五体不満足の武豊のエージェントは、元ホースニュースのTMで、その後フリーとなった平林雅好氏だったが、平林氏は武豊専属ということで、前述の小原軍団のように有力馬を融通しあうことが出来なかったため、この頃の武豊騎手は体調面を含めて「負の連鎖」に突入していた。

「心は腐るも技術は腐っていなかった武豊」


天才ともてはやされた武豊とて所詮は一人の人間。
誰の人生にも山があり谷があるのが当たり前で、2010年頃が武豊の「谷」の時期だっただろう。
そして丁度、年の頃をかえりみても「厄年」の時期に符合しているように、やはり武豊も人の子だったのです。


天国から地獄に落ちた人間の心情としては、まわりから「腐らずに頑張れ」と言われても「はい頑張ります」と切り替えるのは至難の技で、同時に武豊に進言できる人間も多くなかったんじゃないかと想像する。

それでも武豊は武豊なりに腐らずに粛々と騎乗し続けてた。
エージェント制度の影響は今でも根強く、そこに加えてデムーロ、ルメールのJRA通年免許取得と、今だに武豊を取り巻く環境は厳しく、ここにモレイラがJRA試験に合格して万一にも加われば、状況悪化はさらに加速することだろう。
どのスポーツも外国人に活躍の場を譲ってしまっているので、日本の武豊には頑張ってもらいたい。


ただ、4,000勝を達成した日の武豊は3勝の固め打ちを見せた。
固め打ちが外国人騎手の代名詞となって久しい今日この頃、この日の武豊の騎乗は全盛時を彷彿とさせるものであり、スプリンターズSでも13番人気のラインスピリットを正攻法の競馬で3着に持ってきた騎乗技術は文字通り前評判の高かった外国人騎手騎乗の馬を凌いでいた。
これを見る限り、少なくとも体に染み付いた「騎乗技術」は全く錆び付いていないように見えた。


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